栃木県宇都宮市の内科,消化器科,小児科,外科のクリニックです.

玄界灘に浮かぶ壱岐の島

玄界灘に浮かぶ壱岐の島

壱岐の島

 私の故郷である壱岐の島のご紹介です。
私は玄界灘に浮かぶ壱岐の島で生まれ、高校卒業までこの島にいました。海に山に大自然を堪能しました。ウィキペディアによれば、「壱岐島(壱岐の島)は、九州北方の玄界灘にある南北17km、 東西14mの島である。九州と対馬の中間に位置する。」 と書かれています。2010年現在で人口は3万人の小さな島です。空から見ると、平べったい島で、福岡から壱岐まではジェットホイルで1時間、フェリーで2時間くらいかかります。島内には鉄道はありません。島内の観光は壱岐観光ナビをご覧ください。

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 上の写真は、壱岐の島の南側にある筒城浜(つつきばま)海水浴場です。他にもたくさんのキレイな海があります。夏は観光客でとても賑わいます。また、ウニめしをはじめ、食べ物は何でもおいしいし、島全体堪能できますよ。是非一度おこしくださいマセ。


壱岐ってどこ? Googleマップより



池田先生

湯の山公園

 右の写真は子ザルの様ですが、私です。2歳ごろかと。手術後しばらくたって壱岐に帰ってきて 両親に湯の山公園(壱岐市勝本町)につれていってもらった時の写真です。右足が太く見えるのはギブスをしているからです。生後1年でお腹の手術を受けたのですが、足のギプスについては詳細は不明です。一つ下の弟がいるのですが、母がだっこしているのでしょうか。私は生後2か月に満たない時より、大学病院に長く入院していましたので両親も写真を撮る機会がなかったのでしょう。 この時期から私の写真がありますが、その前の写真はありません。

  私は、昭和41年に芦辺町立母子センター(芦辺町諸吉仲触;現在は廃院)で3,000gを超え元気に生まれたそうですが、新生児期からお腹がはっていてよくもどしていたそうです。両親によると、母乳をよくのむ割には、お腹がふくらんでなかなか便がでずよく浣腸をしていたということでした。両親は乳飲み子を抱え右往左往(壱岐の方言で ぎんだらまいといいますが)し、当時高校の近くで開院されておられた真海先生に診察してもらった後そのまま九州大学附属病院の小児科に紹介していただきました。 真海先生(郷の浦町)、松永先生(勝本町)、久原先生(芦辺町)、松嶋先生(芦辺町)ありがとうございました。

 地域の先生方のお陰で、生後49日目に九州大学附属病院小児科病棟に精密検査のため入院の運びとなりました。その結果 「ヒルシュスプルング病(Hirschsprung病)」という診断をいただきました。入院中の私よりも、離島の壱岐からフェリーに乗り継ぎ、福岡の病院へ行ったり来たりで両親は大変だったかと思います。 海が時化ればフェリーは島まで戻れず船着き場近くの旅館で足止めです。宿は当時 対馬小路にあった千代本旅館でしたが私は女将さんの物まねが得意でした。

 私を担当された先生は、池田恵一先生で、西ドイツの小児外科病院に留学された後に、当時九州大学二外科の外科講師をされておられました。池田先生はその後、国立大学として最初の小児外科学講座の初代の教授をされ、昭和62年には九州大学附属病院の院長をされました。私の栄養状態の改善等を待って、10カ月を過ぎて私の手術をされました。 

 おなかが張っていた原因は、肛門に近い結腸(S字状結腸)の一部の神経が欠損しその領域のお腹の動きが悪いためでした。ここが動かないから腸がはり、お腹がはりウンチがでないわけです。この部分の腸を切除(S状結腸切除)し腸と腸をつないで(吻合)いただきました。私が池田先生のお顔を記憶しているはずもありませんが、5歳の時に腎盂腎炎、敗血症で九大病院に入院した時に、池田先生が小児科病棟にこられ、母に手術して頂いた先生よと いわれたのが、物心ついた私にとって池田先生との最初の出会いでした。

ヘビ展にて

 左の写真は私が4歳の時の写真です。向かって左側が私で、右側は1歳下の弟です。
 この写真は、壱岐観光会館で「ヘビ展」(巡回型展示)が開催された時に、父に撮ってもらったものです。「ヘビ展」ではタライにはいった大きなヘビを見てとてもビックリしたこと、屋外の草っ原で両親と一緒におにぎりを食べたことを何となく憶えていますが、「ヘビ展」に弟が一緒であったことや、写真を撮ってもらったことの記憶はありません。写真をよくみると、私が弟の方に手をまわし、肩を組んでいるようにみえます。親がそうさせたのか、自然にそうなったのか定かではありませんが兄弟愛でしょうか。この文章を書いているときに初めて気がつきました。 この後に弟が2人増え4人の男兄弟となりました。

 上の写真を撮ってもらった前の年には、足を悪くして(病名は不明)、大濠公園の近くの病院に受診し、長らくギプスをしていたようです。また翌年には腎盂腎炎、敗血症で九大病院小児科病棟に入院しました。はしかもかかり、小学校に入るまで、延べ約3年半ほど入院していたそうです。医師になることを志したきっかけは、幼少時の疾病経験によるものであったのかもしれません。
 
 小学校3年生ごろまでは、時々便がもれたりしまして下着をよごすことがありましたが、それ以外はまったく順調でした。たまに、走ったらうんちが漏れることもあり、調子が悪い時は、「ちり紙」をお尻にはさんで、学校に通ったこともあります。肛門をキュッと閉じておかないとうんちがもれるんですね。術後の定期外来受診で年に1回ほど、父に連れられ、九大病院の小児外科外来を受診していました。しばらく漏れはなかったのですが、小学六年生の修学旅行の時、夜に漏らしたのはつらかったです。白いトレパンを洗いその日はパンツで寝ました。下痢したかと思ったら便秘したり。。さすがに今は漏れませんが当時は「ストレス」だっかかも知れません。

 話は、前後しますが、私の幼稚園は2年制であり、今でいうところの「年中」からの入園でした。ある日、幼稚園から帰り道で、すごく体がだるくなってしまい、へたり込んでいたところを、お店のおばちゃんに声をかけてもらいました。そこから父に連絡してもらったようです。家に帰ってからすぐさまトイレに駆け込み、オシッコをみたら、チョコレート色をしてましたのでとても驚きました。その前に熱がでたりして何日か園を休んでいたようです。

 近くの先生のところにかかり、ばい菌が全身にまわっているとのことで、紹介状をもって九大病院へ。銀玉鉄砲とスペクトルマン人形を抱えて入院。すでに小児病棟に入院していたオオタケ君、ユウラ君が面倒見がよくて、麻しん(はしか)で隔離病棟に行く前まで、ずっと可愛がってもらいました。プラモデルや、院内車いす散歩など、先輩達に「君」づけです。車いす散歩や院内教室にいちばんつきあってくれたオトモダチの名前は残念ながら思い出せません(写真横)。採血、点滴、検査はいやで逃げ回っていましたがそれ以外は私にとっては楽しい思い出でした。

 入院中に、オトモダチが急にいなくなるので退院したと説明を受け納得していたつもりだったのでしょうが、しばらくたって年長者のオオタケ君からか聴かされました。退院したんじゃないよ。○○君、死んだんだよって。今度は自分の番かなとおもい夜もねれなかった日もありました。

 敗血症の割には大部屋での入院だったのですが、退院まじかになって、はしかにかかり、隔離のため別の分院に転院する必要がありオトモダチとバイバイしました。病室隔離から解放された後、ナースステーションでよく絵を書いていたらしいです。いちばん上手にかけるタッコングの絵がおおかったようです。同年代のオトモダチはいなかったと記憶しています。そのうち退院。

 中学生になってからは、池田先生のところに診察に伺うことはなかったのですが、その後何年に1回、九大の小児外科教室から、ヒルシュスプルング病児その後について、アンケート用紙がおくられ、近況を返信していました。 私が自治医科大学に入学ししばらくたって、池田先生から直接お電話をいただきました。私の最近の写真をおくってくれないかということでしたので、早速、自治医大の正面玄関の前で撮った写真を、池田先生にお送りしました。どうも小児外科学会でその写真がスライドでだされたらしく、学会に参加された自治医大の小児外科の牧野先生(当時)より、早速 小児外科教室にお呼びがかかりました。 君が寺田君か?。ヒルシュで手術を受けたんだって。  はい。
 医学書以外の本をかうことが多かった大学書房さんで「ヒルシュスプルング病の基礎と臨床」(へるす出版)をみかけ、著者が池田先生と知り、友人に借金してその場で購入しました。小児外科医になりたいという夢が燃えたぎった瞬間でした。しかしながら、その壮大な志とは裏腹に、在学中は院外の活動に没頭する日々が続きました。藤本先生、池本先生には大変お世話になりました。ありがとうございました。 (略)

 あっという間に、卒業式、医師国家試験を迎えました。 国家試験は日本医大で受けましたが、試験会場から見える桜がとても印象的でした。取り敢えず、卒業することができて国家試験も無事おわりましたので、ゆっくり栃木から車で長崎にかえりました。いろいろ立ち寄って博多からのフェリーに乗り継いで実家につくまで2週間ほどかかりました。出雲市内での滞在がながく先輩からたいそう御馳走になりました。

 医師としての最初の2年間は長崎医療センターに勤務し、初期研修をさせていただきました。雲仙普賢岳の噴火がおこった翌年です。

 命の恩人である池田先生に、医師になってから2度お会いすることができました。

池田惠一先生 「小児外科医の喜び」(日本小児外科学会HPより)





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